シンガポールから帰国後は自宅でひきこもり気味の私でしたが、
じっとしてたら自然とまた動きたくなってきました

先週はお友達のホメオパス
大塚典子さんと占い師・書家の
高天麗舟さんと
3人で開催予定のお話会の打ち合わせをしました。

お話会の参考にさせていただいてる本の一例です。ご縁のある方々の本が私のバイブルとなっています

(
重川風天さんの本は絶版なので、ぜひ講演会などにいってみてください

)
いや〜自分の好きなことをしゃべって、それを興味ある人に聞いてもらえるのって、
本当にいいものですね〜(笑)
何度か書いてますが私は本当に人前で話すことについてはトラウマだらけの人間で、
高校時代は人と話せずに精神疾患の病名が付けられておかしくないくらいだったし、20代前半の初めての司会では何人もの人にヒドイ司会だとアンケートに書かれたし、シンガポールでは他の言語との切り替えが不得意でいつも「日本人と思えない日本語が下手」と言わてれたてたし、
他にも「声が変」「しゃべり方が変」等言われたことは数え切れないくらいあり、自分にはとても無理だと思いながらも、
これまでなんとかスピーチなどをやってきました。
ところが、実は得意分野なら、うまい下手はともかく、何の苦もなく延々としゃべってられることがわかりました。
いわゆるオタクですな(笑)
のりちゃんと麗舟先生は三人とも違う分野だけど、たどり着いた結論は同じで、
私がマニアックな話をするのを、お二人がより実践的・具体的にフォローしてくれる感じです

興味ない人に聴いてほしいとは思いませんが(笑)
興味ある人が聴いたら絶対にその人のためになるだろうという、変な自信だけはあります

さて、そのお話会のために自分の過去の経験を振り返っていたら、
いろいろと思ったことがあったので、今日はそのお話です。
感覚ではわかるのですがまだ文章でうまく表現できないので
また改訂版をアップするかもしれません

先日もブログに書いたように、私は20代後半〜30前半に大きな人生の壁にぶち当ってばかりで、
とくに病気の手術と投薬治療でボロボロの状態になってシンガポールから帰国し
実家でしばらく引きこもり生活してた頃というのは
精神的にも肉体的にも一番つらかった時期のひとつでした。
結局、実家に逃げ帰ったもののずっといることは無理で、本調子でないまま就職し家を出たわけですが、
その時に実家に居づらかった理由が、
「親にさんざん嫌味や小言を言われていたから」だと思っていたんです。
ところが、この前よく考えてみたら、実は違かったんじゃないか?ってふと気が付いたんですよね。
本当はどうも、私の現状に対して不幸を嘆いた親が、よく暗い顔をして、ため息をついていて、
その様子を見ていたのが、自分なりにとてもつらかったようなんです。
その頃ちょうど姉も会社をやめてフリーランスになり、結婚予定もなく家にいた頃だったので、
親も、この姉妹はいつ幸せになるんだ?ってダブルで悩んでたようです。
振り返ってみると、いまだに親は私たち兄弟が思い通りにならないことをよく嘆いたりはしてますけど、
その後全員結婚して子どもができ、それなりに幸せになってからは、
あの時ほど不幸そうにしてる姿は見てないような気がします。
それで思ったんです。
あれ〜?もしかして親にとっては、私が思い通りにならないことよりも何よりも、
私が不幸でいること自体が、一番の不幸の原因になってたのかな?
って・・・。
そしてその不幸そうな親を見るのが、私にとっても不幸を感じる原因になっていたんだな、と思います。
実はその数年前、シンガポールにいた頃にも、仕事でうまくいかず苦しい時期があり、
こちらからは何も言わなかったのに、父親はその時、
なぜか私がすごく苦しんでいるのを感じて、とても心配していたらしいです。
親って不思議と子どもが苦しんでるとか不幸でいることを感じるものなのかもしれません。
「親が子どもに一番望むのは、その子が幸せであること」って池川先生がいつもおっしゃってますが、
まさにその通りなんだと思います。
ということは、なんだかんだ言っても親というのは、子どもが幸せそうだったら、
気に入らないことがあっても「まあいいか」って思えるものなんではないでしょうか。
多くの親にとってはたぶんわが子が不幸になるのが一番嫌なことだし、
何かの事情で子どもに不幸になってほしいと思う気持ちがあったとしても、100%ではなくて、
必ず幸せになってほしいという気持ちが同居してるんじゃないかと思います。
確かに私も、親にはいまだにいろいろ小言を言われて正直うんざりすることはありますが(笑)
それは「その方があなたにとって幸せだから」という思いがあってのことだ、というのはよ〜くわかるんですよね。
ただ残念ながら、価値観が親と子で違かったりするために、
目指す幸せ自体の定義や幸せになる方法が全く合わなかったり、
親心で子どもが苦しむ姿を観たくなくて、良かれと思ってやったことが、
実は逆効果になってしまったりするんですよね。
たとえば、子どもが将来病気で苦しまないように、不幸にならないように・・・という思いで打たせた予防接種ワクチンが
実は神経にダメージを与える危険性のある物質がてんこ盛りで、発達障害の原因になるといわれていたりとか・・・
目的はあってるけど方法はそうじゃないよ、というのが親子問題にはありがちなんだと思います。
私もよく考えると娘にやってるなあ・・・って思うことがいろいろあります。
自分で経験しないと学べないって頭ではわかっていても、
ついつい、「それじゃ失敗する」って思ったことを先走って止めてしまったりとか。
親の立場で考えると、子どもが苦しんでいる姿を想像しただけで
自分の身を切るような辛さを感じてしまうんですよね。
だからなるべく苦労はさせないようにと、つい余計なこととかもしてしまうんですよね・・・

それだけ親としてはやっぱり
子どもの不幸が一番の親不孝なんだなあ〜って思います。
子どもも無意識にそれを感じているので、親からひどい目にあわされたりした子は、
親への見せしめとして、自分を不幸にする方向に行ったりすることもあるんじゃないかなと思います。
・・・よく考えたら、自分自身もそんなところがあったのかな?って思います。
さらに言いますと、子どもにとっても、
親には幸せになってほしいという気持ちがあるものだから、
親が不幸なのを見ているとつらいんですよね。
そして「それは自分のせいかも」と罪悪感を感じたりするんです。
「親の望むような人間になろうとして自分らしく生きられなくなる」
というのも、親を幸せにしたいがため、なんですよね。
でも、その罪悪感や、親の価値観に合わせようとしている気持ちが強すぎて、自分を抑えて
不幸になっちゃったら・・・
実はそれこそが親にとっても一番の不幸になるんです。
つまり子どものしてることも、目的はあってるけど手段が間違ってたりするわけですよね。
たとえばもしわが子が超有名野球選手で大活躍して、年棒がすごくて自分たちに家買ってくれたとしても
家庭が破たんして、苦し紛れに薬物に手を出したりでもして、不幸のどん底にいたら、
親にとっては幸せでもなんでもないと思います。
ということは、自分が親の価値観からするとダメな子であり、
「うちの子は思った通りに育ってくれない」って嘆かれていたとしても、
そこに罪悪感を持って、幸せになるのを遠慮してしまっては、
結果的には親のためにならないんですよね。
逆に親から見てどんなにダメな子でも、その子が幸せそうにしていたら、
結局親は心のどこかで幸せを感じるはずなんです。
幸せなわが子の姿を見て、「自分の考えが間違ってたかな」って思う親もいるかもしれません。
そこまではなかなか思えないという親でも、
ダメな子でも不幸でいるよりましだということは、きっと無意識にわかってると思います。
つまり・・・
幸せになるのに、親に遠慮なんてしなくていい。
子どもが遠慮せずどんどん幸せになることが
最終的には一番の親孝行になるから。
ということなんです。
それを今回とっても実感できました
もう一つ付け加えますと、「子育てしてる親御さんは、自分がまず幸せになりましょう」
っていわれるのも、確かにその通りだと思います。
だって子どもが親に一番望むことは「親が幸せでいること」なのだとしたら、
幸せな親の姿を子どもに見せることがその子を幸せにするんです。
逆にもし親が「子どものために」と思って自分のやりたいことをガマンして、
それで不幸な思いをしていたら、子どもも不幸を感じるでしょう。
すると子どもは「自分のせいで親が不幸になってしまったんだ」という
罪悪感を持ってしまったりするんですよね。
そういう子は、自分が結婚し子どもができた時に
「私も結婚したら同じようにしなければ」と不幸の道を選んでしまうかもしれません。
あるいは無意識の中に、「子どもができたら不幸な思いをするから嫌だ」という気持ちがあって
心のどこかで結婚や子どもを持つことを避けてしまう、ということもあると思います。
・・・少なくとも以前の私はそうでした
子どもがいない人で「親たる者こうあるべき」と主張する人がいるのは、
実は無意識の中では自分がその「べき」をしたくないから子供を持たないのかもしれません。
結婚して子どもを持つことだけが素晴らしいとは決して思わないけど、
本当はしたい気持ちがあるなら、親との関係を見なおしてみれば
何かのブロックがはずれるかもしれませんね。
昨年、池川先生やそのつながりの方々とのお話で「子育ての連鎖」の話がいろいろ出てきたのですが、
これも親の不幸感とか罪悪感の連鎖だと思います。
どうせ連鎖するのだったら、親は自分が幸せに思うことをどんどんしていって、
子どもにも「自分は幸せになっていいんだ」って思ってもらうといいんじゃないかな、という気がします。
※親子関係について考えるきっかけをくれた池川先生と未来見基さんの
『脱ペアハラ・脱虐待でハッピー子育て!』です。
amazonなどでは品切れみたいですが、うちには発注が来ずに取次に発送できない状態です
まとめると、
・子どもが不幸なのは親にとっても不幸。親が不幸なのは子どもにとっても不幸。
・だから子どもは親に遠慮せず幸せになること。それが結果的に親を幸せにする。
・親は子どもに遠慮せず幸せになること。それが結果的に子どもを幸せにする。
という感じですね。
私がこんなふうに考えられるようになったのも、
昨年、胎内記憶をちょっと思い出して以来、
「親の価値観からの卒業」ができるようになったからだと思います。
胎内記憶や中間世記憶など、池川先生はたくさんの調査を経て記憶保持者とお会いしているものの、
私自身ははっきりした記憶もないので、「絶対にある」とは言えません。
だけど、自分の中で何か「ピン」とくるものがあれば、絶対に親子関係の改善に役立つ

ということは確信しています。
もちろんこれはあくまで自分の経験から思ったことなので、
「そんなんじゃ自分も幸せにはなれないし子どもを幸せにできない」って言う人は真似しなくていいんですけどね。
私も含め、親を持つ子、子どもを持つ親がどんどん幸せになっていくことを願います
