2019年06月24日

引き寄せたものは返せない。だから受け取らないと次に進めない。

先週後半は周期的な体調不良の時期で
プランターの野菜に水やりすることもできず、
葉っぱが枯れそうでしたが、
雨のおかげで復活してくれました。

DSC_0678.jpg
プチトマトはもう20個ぐらい収穫してます(*'▽')

そういえば、常夏のシンガポールから帰国後しばらくは
この時期の涼しさがとても気持ち良かったし
雨もスコールじゃなくて傘を差せば外を歩けるのが嬉しかった。

梅雨も良し悪し。
天気には良いも悪いもないんだなあって改めて思います。


で、体調が悪くて苦しんでた矢先、
「オリンピックチケットの当落発表」のニュースを見て、
メールを開いてみたところ・・・

DSC_0676.jpg

当選してました〜ヽ(^o^)丿

結局当日はアクセスができず何の競技かわからなかったけど、
翌日見たら、ビーチバレー2回分でした。

抽選申し込みした後に「チケット取りやすい裏技」なるものがあると知り、
失敗したかな〜って思ったけど、正攻法でOKでした(゚∀゚)

夫の先輩が前に出場したりしてて純粋に見たかった競技のひとつだったんですが、
後でネットで見たらビーチバレーは比較的チケットが取りやすかったらしいです。

「あ〜ついてるな〜〜」なんて思ってふと思い出したのが、

これって、
「良い気分でいれば良いことが起こる」
という宇宙法則なのかもしれません(゚∀゚)


だったらいつも良い気分になるようにしよう、
って思いたいところですが、

実はそれが難しかったりして(;・∀・)


体調が悪くて寝込んでた時なんか、
確かに家族のサポートで無理せず寝ていられることがありがたいと思う時間もあったけど、
そういう思いはなかなか続かず、
やっぱり痛いとかしんどいとか、やりたいことができないとか、
どうしてもネガティブ感情が思いの大半を占めてしまう。

かといって、「そうはいっても自分は恵まれてるんだから」
とか無理やり思おうとしても難しいんですよ、
だって体はつらいんだから(*´Д`)


結局良い気分になるっていうのは、簡単そうでいて実は、
思い通りにならない時にはめちゃくちゃ難易度が高い、
って実感しました。

「良いことを意識して良い現象を起こしたい」
なんて思ってみたとしても、
生きてたら、どうしたって「思い通りにならないこと」がありますからね。



仕事がら、今まで一般人の想像を超えた超人レベルの人や
引き寄せマスターにたくさんお会いしましたが、
そんな方々でさえ、皆何かしら
「こうなってほしいけど、なかなかそうはならない」
というような、思い通りにならない物事はあるもの。

のちのち思い通りになるということはあっても、
「表層意識が望んだとおり、すべての望みがすぐにその場で叶う」
なんて魔法使いみたいな人はだれ一人としていません。



じゃあどうすればいいのかっていうと、
前にも記事に書いた通り、
思い通りにならないことも全部、

現実を、腹をくくって、覚悟して、受け入れる

っていうのが大事なんだろうな、と思いました。


超人・引き寄せマスターが素晴らしいのはそこかもしれません。

それと難病・不治の病などから回復している方々は
やはり病気から逃げるのではなく、一度受け入れて、
腹をくくっている気がします。

前に書いたような、食べられない梅から梅酒を作る(レモンをレモネードにする)、
という知恵も、いったん腹をくくって受け入れないと、
なかなか出てこないものだったりしますよね。


実は「そうはいっても自分は恵まれてる」っていう考え方も、
腹をくくって受け入れる、というところに向き合わないようにするための、
言い訳になってる場合もありそうです。


それで言うと、私なんかは気づくといつのまにか現状を受け入れがたくて
そこから逃れることしか考えられなかったり、
人のせいにしたりしてしまうことばっかりだなあって思います(*´Д`)

自分が引き寄せたものを受け取らないって、
ネットショッピングで買ったものが届いたのに
いらないっていって配達業者を困らせる嫌な客みたいですよね( ̄▽ ̄)

これからはすこしずつでも受け入れていこうと思います。



★一緒に宇宙法則を日常生活で実践したいという方はこちら(*'ω'*)★












2019年06月18日

その日々の中にある豊かさを僕らはいくつ知っているのか?

・・・タイトル、ちょっと秋元康大せんせー風にしてみました(゚∀゚) 


すっと空き家になっていた近くの家が
昨年取り壊されて、新しい家が建ったのですが、

それ以来、空があまり見えなかった部屋からもよく見えるようになりました。

20190618_082756.jpg

まあ写真にとると電柱が目立ちますけど(笑)

日曜日、絵にかいたような濃い青空に白い綿雲を
ゴロゴロしながらぼ〜っと見てたら気持ち良かったです(*‘ω‘ *)

そして夕方に外に出たら今度は月があまりに見事で思わず見とれました目

20190617_101033.jpg

写真では電球みたいに見えますけど(笑)
まだ暗くなる前の夕空に大きな月が浮かんでる様子はちょっと感動でした(*´▽`*)


普段何気なく過ごす日常生活が
こんなにきれいなもの、心地よいものにあふれてるんだな〜ぴかぴか(新しい)って
思ったら、心豊かな気持ちになりました(*‘∀‘)


最初からそう感じられたらいいんですけどね、

空が見えない部屋から見える部屋になってやっと空が見えるありがたさに気づけたり、
常夏の国から四季のある国に来てやっと季節ごとの風景の移り変わりの美しさに気づけたり、

対比するものがないとなかなか今ある豊かさに気づけないものだなあ〜って思います。

でもそう考えると、嫌な体験も、
うれしい体験を味わうための前フリなんだと思えるかもしれないですね。


DSC_0671.jpg

娘の部活で早朝からお弁当作って
自分の分のおかずもお弁当に詰めたら、ここでもまた心豊かな気分に(*‘∀‘)


でもこのお弁当の食材の買い出しでスーパー行ったときに、「今月ピンチだから」と、
「これほしいなあ〜でもこっちのほうが安いし。もっと安いのないかな〜」
なんていちいち迷ってうろうろしていたら、
ものすごく時間がかかってしまい、
その間やろうと思ってたほかのことができずに、
「・・・結局は時間の無駄だった」と思いました( ;∀;)


こういう主婦がいるからデフレになるのか・・・( ̄▽ ̄)


この経験にちょっと反省してたら、ふと思ったのですが、

買い物って、お金を払うとそのぶん買った商品やサービスが自分のものになる、
と考えると、自分を豊かにしてくれる行為なんですよね。

でも、買ったぶんお金が無くなると考えちゃうと、逆に、
買い物が自分を貧しくさせる行為のように思えるんです。

つまり、自分にフォーカスするのか、お金にフォーカスするのかで、
どっちが豊かに思えるかが正反対になっちゃうんですよね。


それでいうと、今までの私の意識はまだまだお金のほうに偏ってた、
というか、お金を持っているかどうかにフォーカスするように
ある意味マインドコントロールされてたみたいです(;・∀・)


お金のほうにフォーカスしちゃってると、
ふだんどんなに切り詰めたとしても、物は買わなきゃいけないし、
光熱費とか保険とか税金とか払わなきゃいけないものもあって、
支払いがゼロにはならず、どんなに生きてくために必要なお金だとしても、
使うたびに自分が貧しくなると思っちゃう。

そうすると、例えば子育てなんかも、
子どもを育てることが心をすごく豊かにしてくれるものだけど、
育てるのにはめっちゃお金がかかると考えると、自分の生活を貧しくする存在になってしまう。

それってなんか悲しいじゃないですか・・・( ;∀;)


だからこれからはもっと、お金を払うときの意識を、
そのお金で得られた豊かさのほうへ向けていこう〜って思いました(*´▽`*)



考えてみれば、お金にフォーカスした場合、
「お金を使った分だけ、人は貧しくなる」わけだから、
「豊かさとは、使っても無くならないだけのお金を持ってること」
ってなりますよね。

使っても無くならないだけのお金っていうと、
具体的には、定年後に2000万円でしたか?( ̄▽ ̄)


一説には2000万以上貯められてる60歳が三分の一だとかで、
その人たちだけが豊かだってことになってしまう。


本当は私たちの心を豊かにしてくれる夏の青空も月も無料なのに。



確かに現実を見ると定年で働けなくなってもお金は使わなきゃいけないわけで
俺の年金どこ行った?(笑)って思うし、
子育てにもお金はかかるけどね、


でも私たちはもっと豊かさに心を向けていくことはできる



個人的にも今いろいろな面で今までのやり方を変えて新しいチャレンジをしている時で
お金のことを考えると不安や落胆ばっかですが、
自然と湧き上がってくる、日常の豊かさを感じる気持ちをもっと味わっていきたいなと思っています(*´▽`*)

2019年06月13日

令和のスピリチュアルはマスターよりCEO?

この前、ネットニュースをたまたま見てたら「逆ギレ傷害事件」の特集をやっていたのですが、

誰かに注意されて逆ギレする時っていうのは、注意された内容が正しいと思ってる場合が多いらしいです。

相手が間違ってたらそこまで反応はしなくて、図星でいたいところを突かれるからこそ逆上するんだとか。


前のブログで書いたように、人の心理として、自分を責めてると、
誰かからその部分を責められるし、自分自身がそれを責めてるからこそ穏やかではいられない・・・
っていうのがあるんだろうな、と思います。

自分を責めないで、他人も責めず許せる人が増えたら、
もっとみんなが生きやすい世の中になるかもしれませんね。


DSC_0661.jpg
この前書いたように今年のプランターはトマトが豊作です。

DSC_0662.jpg
キュウリもなり始めましたわーい(嬉しい顔)



さて、この前梅を梅酒にするっていう話でも紹介したように、

スピリチュアル業界でよく言われる、

魂がマスター(主人)で、体やマインド(思考、心)というのはサーバント(召使)

という言葉がありますね。

マスターの言う通りに動いておけば不要な苦労もしなくてすむし、
本当の願いもかないやすくなるんだけど、
みんな逆になっちゃって、体やマインドに振り回されてるから
うまくいかないんだよ、っていうお話ですね。

これは本当にその通りだって思います。

実際に私も心の奥底の本音の部分をしっかり聞いてその声にしたがうことで、
すごく人生生きやすくなりました。


ただ、この三次元の地球にいる人間にとっては、

体や思考の望みをまったく聞かないでいたら、生存ができないわけですよね。

のど乾いても何も飲まなかったり、お腹すいてもずっと食べないで
生きていられる達人みたいな人もいるけど、
それができなかったら、下手したら死んじゃうかもしれません。

だから欲っていうのも、人がこの世で生きていくため、
そして命を子孫に受け継ぐために、必要なものだと思うんです。



これが精神的な修行を積んで、体や心の欲望を超えて神100%になり、
超能力を身に着けた人なら、欲はいらないと思うのですが、

私のような煩悩だらけの人間にとって、
実際には欲をなくすっていうのは現実的には難しいところがあります。
(食いしん坊だし)

そうすると、マスター100%では生きられなくて、
どうしてもサーバント側に振り回されることがゼロにはならないわけですね。


それならば、そんな魂に絶対服従できない私みたいなフツーの人間はどうとらえればいいかっていうと、

魂はマスターじゃなくて会社の社長とか、CEO

ぐらいに考えてみたらいいんじゃないかと思うんです。


社長の大事な役目っていうのは
「これからこの方針に向かって行きましょうね」
っていうビジョンを社員たちに示すことで、

このビジョンが定まらないと、社員たちがどう動いていいかわからなくて
バラバラな行動をしてしまい、経営に限界が訪れやすい。

かといって、社員たちに「ビジョン達成のために力を100%注げ」
と言って無理に突っ走ろうとしても、

社員たちにはそれぞれの私生活もあるし、休息だって必要だから、
ついていけなくなって限界が来る。

ということは、社員たちそれぞれの個人的な望みをかなえつつも、
うまく全体のビジョンに向かって進んでいくことが、
会社を持続させるために必要ですよね。


それと同じように、人の生き方として、
魂の望みを叶えるために、体や頭を使うってことも大事だけれど、

人間は、物質的な身体を持っていろんな体験をすることを楽しみたくて
この三次元の地球に生まれて来てるわけだから

その純粋な欲求を無理やり押さえつけようとしても、
やがてうまくいかなくなる。

だから、体や心の望みをちゃんと叶えつつ、
魂の望みに向かって進んでいく。

それが一般人にとってはやりやすいんじゃないでしょうか


しかも、前回ブログで書いたように、
魂の波以外はなかなか継続しないので、
体や心の欲は、ちゃんと満たされたらそれで終わりなんですよね。

逆に押さえつけると、満たされずにいつまでもひきづってしまう、
という傾向にあり、欲を満たさずに手放すのは相当の修業を積まないと難しい。

・・・私なんか四半世紀以上ダイエットを試みては挫折を繰り返し、
ダイエット辞めたらゆがんだ食欲がパタッとなくなりましたからね( ̄▽ ̄)



世の中的にも、
共働きなのに子供生まれたばっかりで転勤命令、みたいなおかしなことが、
ちょっと前だったら会社では普通に行われて、嫌でも従わざるを得なかったけど、
今ではみんなが「嫌だ」って声を上げて、大炎上しちゃうように、

もう軍隊みたいな会社に絶対服従のやり方は通用しなくなって、
そういう会社はブラック企業の烙印を押されるようになり、
プライベートの充実も生きていく上では大事だという考えが常識になってきましたよね。


まるでそういう動きとシンクロするかのように、
スピリチュアルな業界でも、
「煩悩はいけません、我欲はいけません、だから修行で断ち切りましょう」
という考えがどんどん古くなっていって、
「欲とはうまく付き合うものです」というのが主流になってきたのを感じます。

今ではブラック企業の現状がSNSで丸裸なのと一緒で、
昔は「自分は我欲はありません」みたいな立派なことを言いながら
蔭でコソコソ欲まみれの行動してる聖職者も結構いたのが、
今はそういうのも全部ネットで晒されちゃう時代になり、
隠し事ができなくなってきたというのもありそうですが・・・(笑)


もちろん、コツコツ修行して欲をなくしていくのができる人は、
それで進んでいけたら素晴らしいと思います。

ただ、それが難しい人が無理をしようとすると逆に挫折しやすいので、
この三次元地球のやり方でやっていってもいい、
ってことをみんながわかってきたんでしょうね。

不自然なことはやめて自然に行こうよ、
というのが世の中全体の流れとしてあるのかな〜と思います。

令和っていう元号は、
ビジョンに従いつつも、無理せず現実との調和を図りながら生きていく
という字に見えなくもないですね(笑)




2019年06月12日

思いが実現し続けるときと続かないときの違い

昨年7月に研修を受けた小学校英語指導者の申請書、

またもや期限ギリギリにやっと提出が済みw

「やっぱりもっと英語力を上げたいな〜」と思って

15年ぶりぐらいにTOEICの勉強を始めました。


前回のブログに書いたように、自分責めグセが大きかった私は、

TOEICの悪い点数を見るのが嫌でずっと受けたくなかったんですよね(*´Д`)


でも最近は純粋に英語を学ぶのが楽しくなって、

人と比べて点数が低いと落ち込むこともなくなって、

せっかく学ぶなら点数アップを目標にしていこうかな、

とやっと思えるようになりました(*'ω'*)


・・・といっても勉強してみたら昔に比べてリスニングも落ちてるし
単語や文法もかなり忘れててヤバイ・・・ _| ̄|○

前途多難ですが、コツコツリハビリから始めていこうと思います(;'∀')


やってみて思ったんですが、語学の勉強って細切れのスキマ時間にもできるので、
子育てや家事の合間に何かしたいって人にはいいかもしれませんるんるん



さて、今回の気づきです。

本質的な宇宙のしくみについて、

創造主といわれるものは宇宙で言うと一元の世界。
それはすべてがゼロになるブラックホールの向こうの世界。

何もないブラックホールの向こうは、実はすべてがあり、無限大に広がる別の宇宙で、
ゼロ=無限なのだ、

という話は何度か説明してきたと思いますし、
以前編集した本にもありました。

その一元の世界から、二元ができることにより、つくられたのが
私たちがいるこの物質界だとよくいわれますね。

といっても、一元のゼロの世界から、すぐ物質ができて、現象ができるのではなくて、
その前に、波の動きがある、
というのが科学的にも証明されているとか。

ゼロの状態の次に、波が動くことにより、音ができたり、光ができて、
それが物質化していくのだということですね。

ゼロ(一元)→(見えない)波の動き→光、音→物質化

という感じでしょうか。


いわゆる宇宙法則っていうのも、

意識っていうのが波だから、
人が考えることでできた波が、目に見える物質になり、現象になる。

だから良い気持ちの波動が良い現象を起こしたり、
嫌な気持ちの波動が嫌な現象を起こすという、
いわゆる「引き寄せの法則」といわれるものが起こる、

さらに、気持ちだけじゃなくて、行動すると、より動きが大きくなるから、
物質化しやすいのだ、
というような話だったかと思います。


で、そこから考えてみると、

波を起こす源が、創造主といわれるゼロ=無限の世界の場合は、
その波は無限にいくらでも起こせる

でも、そうじゃない波は、有限だから、やがて止まってしまう

ということになるんだろうな、と思うんです。


いわゆるフリーエネルギーの研究をしている人も、この法則を利用して、
ゼロ=無限の世界からエネルギーを取り出そうとしていますよね。



ということは、人は魂でゼロ=無限の世界を感知しているといわれるから、

魂からくる思いの波動は続くけど、そうじゃない思いの波動は続かない。

だから心の奥底の本心からくる意識だけが、ずっと現実化し続ける。

ということになるなんだろうな、と気づきました。


個人的にも、なんかうまくいかないな〜って思ったときによく考えてみると、
心の底ではそれを望んでいなかった、ってことがわかったり、

言霊の波でよい現象を起こそうというヨコシマな考えで
心から納得してないのに良い言葉だけ使おうとしてもやがて疲れちゃって、
続かなくてやめてしまうのは、魂が伴ってないからなんだな〜
ってすごく腑に落ちました。


コツコツと自分が本音の部分で何を望んでいるのか、
自問自答して、実践していくしかないようです。


DSC_0617.jpg

DSC_0616.jpg

DSC_0615.jpg

先日自転車で道に迷ったら、素敵な八幡神社を見つけました。

実はその前にも車で道に迷って別の八幡神社の前を通ったんですよね〜。

何かご縁を感じます(*‘ω‘ *)


ただ、この三次元の物質界にいる人間にとっては、

有限な体や、思考の望みっていうのも大事なんですけどね。


それについては、また次にお話したいと思います。










続きを読む

2019年06月10日

自分を責めたくて責める人を作る

今年も初夏に始めたプランター栽培、
今のところ順調にすくすく育っています(*‘∀‘)


DSC_0656.jpg
初収穫のイチゴちゃん。


今年は特にたくさん野菜が実をつけてるんですが、
昨年までと違ったところといえば、
今年は嶋康豪博士の酵素水を希釈した水をまめに撒いているので、
そのおかげかもしれません。

梅雨の時期はなんだか気分が晴れないときもあるけど、
野菜を栽培してると、恵みの雨だな〜(水やりサボれるな〜)って思えるのがいいですね( ̄▽ ̄)

DSC_0614.jpg
ミニバラも次々花をつけてくれて、見てるとなんだか癒されますかわいい

今年に入って、娘の中学入学とともに、部活だの塾だのでかなり生活が一変したけど、
やっと少し慣れてきた6月。

子どもの生活が変化すると、自分が何もしなくてもなんでこんなに親の生活も変わるんでしょうね。
おかげで飽きなくてすむわ〜( ̄▽ ̄)

DSC_0638.jpg
昨年の今頃は発表会に向けて練習三昧だった娘のダンス、その後は一般クラスで頑張って、
だいぶ上達したけど、部活との両立が難しくいったんやめることになりました( ;∀;)





その後の実生活で、某スポーツショップで近年まれにみる最悪のサービスを受けるなど、
逆に「これでどうやって相手を愛せるっていうんじゃああ〜〜!むかっ(怒り)
と久しぶりに憤慨するような出来事がいろいろあって、

現実の厳しさを思い知りました・・・( ̄▽ ̄)


だけど、いろいろあったおかげでまた気づいたことがありました。

この前、理不尽に人に責められた(と思った)出来事があったのですが、

これってわたしが自分で自分を責めてるからだexclamation×2

ってハッとしたんです。



自分が自分のことを責めてるとき、

他人の口から、自分を責めるような言葉が出てくる。


なぜなら、自分が心の奥底で自分を責めていると

どんなに表面ではそれを否定したくても、

奥底にある責めている気持ちのほうが正しいのだと確認したくて
他人に責められるようなことをわざと引き起こしているから。


他人から責められると、なんか嫌な人だな〜とかつい思ってしまうけど、

本当は相手は、ただこちらの責めグセに反応して、

「あなた、自分で自分のそこを責めてますよね?」

と教えるために、(たいていは無意識で)そういう行動をとってくれているだけ


あるいは相手には責めるつもりは全然ないのに、

自分で勝手に反応して、責められていると勘違いしてるだけ。


人に責められたときに「私のために責めてくれる」とはなかなか思えないものだけど、

もし相手が意図的に、意地悪でこっちを責めていたとしても、

そもそも、自分の中に自分を責める気持ちがなかったら反応しない。

そうすると究極的には、自分しか自分を責められない
ってことになる・・・


というようなことを前にもブログで書いたと思いますが、
わかっていても結局はまだまだ自分責めグセが根強く残っていたようです。

なかかな手ごわいですね・・・(*´Д`)


そうなってた一つの理由として、今までの自分にとっては、
自分を責めて、追い込むことにより、
自分を鼓舞するのが、目標達成の手段だった
というところがあったと思うんです。

責めグセだけじゃなく、追い込みグセがあったということですね・・・

でもそういう方法はいつまでも続かなくて
やがて無理が来るんですよね・・・( ;∀;)



それに気づいてから、
「もうこれからは気が付いたところから少しでも自分を責めるのをやめていこうexclamation
って思って、自分を責めないようにしたら、

その分だけ、他人のことを責める気持ちも少しずつなくなってきました。
(でもサービスが悪すぎる店に行ってまた同じ目に合おうとは思わないけどw)

しかも、人に責められる体験を不快に思う気持ちはある反面、
嫌われようが何だろうが、不快な態度をとって
「あなた自分を責めてますよ」って教えてくれる人って
やっぱりありがたい存在なんだな・・・
という感謝の思いもふとわいてきたりして(*‘ω‘ *)

なるほど、こんなふうにして、本当に許ししかない関係ができてきて
「自分も他人も無条件に愛する」ことができるようになってくるのかもね〜って思いました。



例えば、体調が悪くてちょっと仕事進まないな〜というときに、

「〇〇の件、もっと早くしてもらえないでしょうか?」

って言われたとしても、別に「あんたの仕事が遅くてこっちは困っとんのじゃ」

とは表面上は言ってないわけで(本当はそう思われていたとしても)

なのに、「体調が管理できない私が悪いんだ、早くできない私が悪いんだ」って

気が付くと勝手に自分を責めちゃって、

それって客観的に見れば相手は別にこっちを責める言い方してないんだから、

完全に「過剰反応」じゃないですか(*´Д`)


そうやってわざわざ余計に反応して自分を責めたがるって、
どんだけドMなんでしょうか(;・∀・)



体調が悪くて仕事できない? 

そんなの当然、自分の体のほうが大事でしょ?

なのになぜ自分を責める?


ってよく考えたら思うんですけどね・・・(;^ω^)


体調が悪いとかだけじゃなくて、なんか怠けちゃったり、
ほかのことしちゃったりしても、
どんなときも自分なりの理由があってそれを選択してきたのだから、

人から見たらダメ人間だったとしても

どんなときでも自分は自分を精一杯生きてるんだし
今までだって精一杯生きてきた

といえるわけで、


その時その時で一番自分にとってベストな選択をしてきたのだから

たとえそれが世間一般から見たらどんなにダメなことで、
他人には責められてもしょうがないことだったとしても、

自分で自分を責めることはない。



本当は自分が一番自分を責めちゃいけない人。

だと思うんです。

あっ、なんか思い出しますね、英語の授業で習った the last person 構文、笑。
(最も〜しそうにない人だ、というやつですね)


だからもう自分を責めるのはや〜めた!

責めグセに気づいたら少しずつでもやめていこう。

どんな時でも自分だけは自分の味方でいよう。

そうしたら、許し合い、愛し合いの
新しい世界に、少しでも行けるかもしれないから。

って思いました。



自分が自分を責める一番最後の人になろう。


Be a last person to blame myself.


はいここ、試験に出ますよ〜٩( ''ω'' )و 
(正しい英語かはわからないのであしからず)



ハワードジョーンズ懐かしい( ;∀;)